かつて新屋支所前にあった町内案内図
休日に昔の写真のフォルダを見ていたら、1枚の地図看板が目にとまった。
これは秋田市新屋扇町にあった「秋田市新屋支所」前で撮影した町名案内図。
タイムスタンプから撮影日を見ると〝2005年11月3日〟とあるが、地図の左下には〝昭和56年現在〟との文字が見える。昭和56年ということは1981年なので、2021年の今年から遡ること、ちょうど40年前の地図ということだ。
この地図のあった場所には現在、秋田中央警察署新屋交番が建っている。
老朽化した新屋支所と西部公民館の建て替えに合わせて、コミセンの機能も付け加えた「秋田市西部市民サービスセンター」として、2009年に秋田中央交通バス新屋案内所跡地にオープンさせた後、近くにあった交番を県が移転新築したもの。
町名案内図の看板は、写真左手の石碑が建っているあたりに設置されていた。
右に見える大木は、昔の名を刻む「新屋支所の松」という保存樹である。
地図を見ると、右(南側)から左上(北東)に向けて弧を描くように走る黒い線が、現在のJR羽越線であることは一目瞭然だが、新屋駅を出て雄物川橋梁に向けて走る線路の左右に向かって、ヒゲのような線が何本か描かれている。
ちょっとこの部分を引き延ばしてみよう。
昔のデジカメ画像なので、画像が粗くてたいへん申し訳ないが、新屋駅を出てから上のほう(新屋鳥木町)に分岐していく線と、左のほう(新屋大川町)に分岐していく線の、2つが描かれている。白と黒の地図記号は、線路を表すはず。
勘の良い方、事情通の方はご存知だろうと思うが、これらの線は国鉄時代の引き込み線(専用線)なのである。新屋鳥木町に向かう線路が十條製紙(十条パルプ)*1へと続く専用線、新屋大川町へ向かう線路が 国立新屋倉庫へ向かう専用線である。もちろん現存しないのだが、案内図に描かれているということは、おそらく昭和56年当時は現役だったのだろう。先人たちのサイトで答え合わせをしてみよう。
廃線探索 十條製紙秋田工場専用線(歩鉄の達人)
〝パルプ工場からは数多くの貨物列車が設定されていたが、1986年3月19日に工場が閉鎖されたために廃止された。跡地は解体されて更地になり、現在はその一部が西部工業団地になっている。〟
廃線探索 国立新屋食糧倉庫専用線(歩鉄の達人)
〝国立新屋食糧倉庫への専用線は1970年代に貨物列車の設定が無くなったものの、1990年3月の倉庫の用途廃止まで線路が残っていた。〟
なるほど、40年前には現役だったことは、どうやら間違いないらしい。
ここで現在の地図ではどうなっているか、グーグル先生に聞いてみよう。
この2枚の地図をザックリと重ねて、現在の位置関係を確認してみよう。
十條製紙(十条パルプ)の跡地は西部工業団地になっているので、ほとんど面影をたどることはできないが、国立新屋倉庫は現在も建物が残っており、その一部は秋田公立美術大学「アトリエももさだ」や 秋田市新屋図書館 の施設などに活用され、新屋駅から続いていた専用線の跡地は、遊歩道として整備されている。