あきたポタリング日記

ポタリングとは、気の向くままに自転車で散歩をすること。 四季の美しい風景の中を のんびり走るのが好きです。 自転車に乗れないときは、不定期更新日記になります。

秋の発荷峠・十和田湖(2005.10.09)

自分の個人サイトに掲載していた、2005年秋の自転車ツーリングの記録です。 現在は廃線となった小坂鉄道が貨物輸送を続けていた頃の記録で、現在とはだいぶ趣きを変えているところがありますが、自転車旅の雰囲気をお楽しみください。

2005年 10月 9日

秋の発荷峠・十和田湖

コース 
小坂町
>>>七滝>>>笹森峠>>>紫明亭展望台>>>発荷峠>>>和井内>>>休屋>>>和井内>>>発荷峠>>>中滝>>>大湯温泉>>>環状列石>>>毛馬内>>>
小坂町 8:13
小坂鉱山事務所脇の駐車場にクルマをデポさせていただき、朝の出発まで仮眠をとる。
明治38年に建てられた小坂鉱山事務所は、かつて鉱産額日本一を誇った鉱山の全盛時代のシンボルで、国重要文化財。平成9年まで事務所として使用されていたが、後に小坂町に移管、平成13年に現在地に移築、復元された。

駐車場の公衆トイレは、トイレットペーパーが備えられていた。オナカの弱い私には、大変ありがたい。
9:03
川を渡ると、いきなり急勾配の坂が待ちかまえていた。どうやらこの坂道が小坂鉱山らしい。
坂上からは緩やかな道が続いていた。所々に左右の山へ入る道があり、そのいずれもゲートで閉じられていた。小坂町はヤマと共にあった町なのだということを、あらためて感じた。

写真は、七段にわたって流れ落ちる「七滝」。落差は60m。源は十和田湖外輪山付近。「七滝伝説」があり、商売繁盛の竜神様を祀る七滝神社もある。平成2年には、「日本の滝百選」の一つに選定された。
9:05
七滝を過ぎると「10%勾配」の標識があった。いよいよ「樹海ライン」の真骨頂である山道が始まる。森の間を抜けながら、徐々に高度を上げていく。
最も急な斜面で、13%ではなかったかと記憶している・・・とりあえず自転車を押さないで最後まで漕ぎ切ったのだが、カーブしながら登っていくスノーシェードは路面も悪く、「後ろからクルマが来たらオシマイかな…」とか思ってしまい、やや怖かった。
10:25
標高840mの笹森展望所(笹森峠)は、樹海ラインの最高地点付近に位置し、眼下に樹海が広がる。好天時には遠く岩手山岩手県のシンボル)も望める。
「・・・もう少しガードレールが低かったら・・・」と思ったのは、私だけではあるまい。きっと冬の地吹雪対策だと思うが、何とかならんものか。
10:44
笹森峠からは外輪山のフチにそってダウンヒル。下った先にあるのは「紫明亭展望台」。展望台は昭和2年の「新日本八景」に湖沼の部で第1位に入選しており、記念碑もある。
「紫明亭展望台」を過ぎると、鹿角からの国道とT字路で交差する。
10:45
この標識の地点がピークになっており、厳密に云う意味での『発荷峠』である。峠からは十和田湖は見えないのである。
ここから右へ折れる林道があり、1500メートルほど行くと展望の名所「甲岳台(標高670m)」があるという。
10:47
発荷峠展望台。いや厳密に云うとどうだろう、発荷峠第一駐車場の立派な施設が「展望台」だとすれば、ここはタダの「眺めのいい場所」か。
数々のサイクリストを見守ってきた標柱が立つ。十和田湖は湖畔にキャンプ場もあり、ドコから来ても、ドコへ抜けても峠が待ちかまえている。今も昔も、大学サイクリング部・夏合宿のメッカである。
11:15
和井内桟橋から見る十和田湖
晴れた青空を写して、青く輝く。
俗化されたといわれる十和田湖だが、こうしてみると、スキー場が目障りな田沢湖を見慣れた私には、いっそうの秘境感が漂っているように思える。
12:20
休屋(やすみや)の湖畔にあった東屋で、持ってきたコンロで湯を沸かし、カップ麺とコーヒーで軽食にする。
写真は休屋にあった、青森県秋田県の県境を示すプレート。この神田川が県境になっており、両県を跨ぐ遊歩道の橋を「両国橋」という。9月にはここで『国境祭り』が行われる。
ココの公衆トイレにも、トイレットペーパーが備えられていた。重ね重ね、大変ありがたい。
12:23
十和田湖に来たからには・・・1枚。
『乙女の像』は十和田湖のシンボル的存在。高さ約2メートル。二人の裸婦が向かいあって立つブロンズ像で高村光太郎の最後の作品。昭和28年に国立公園指定15周年を記念して御前ヶ浜に立てられた。光太郎曰く「原始林の圧力に堪えて 立つなら幾千年も立ってろ」の思いが込められている。台石は智恵子夫人の生地福島県産の黒御影石十和田湖の周囲は44キロ、これを周回する道路では延長50キロを超え、しかも3カ所の展望台を抱える、たいへん激しいアップダウンの道である。小坂から十和田湖まで山道を約30キロ走っており、体力的にも時間的にも厳しいということで、自転車での周遊は諦めて、もと来た道を発荷峠目指して戻っていくことにした。
13:25
発荷峠まで戻ってきた。
さっき写真をとった標柱のド真ん前には、弁当を広げるアツカマシイ家族づれがいた。イイ景色の場所でお昼を食べたい気持ちは分かるが、ココは有名観光地で、しかも記念写真スポット、少しは遠慮したらどうだろう・・・あーゆーのが我が秋田県民だったらイヤだなぁ・・・でもキットそうだろうなぁ。
ココから鹿角市大湯温泉まで、写真も撮らず、脇目もふらずに、一気に下っていった。
14:25
大湯温泉から、ストーンサークルを目指すことにしたのはイイが、いきなりの峠道に喘いだ。どうやら1つ道を間違えたらしい。峠の上には一里塚があった。標柱には「来満街道巡検使道 在郷坂一里塚」とある。
来満街道とは、鹿角街道から室田で分岐して毛馬内に入り、毛馬内から大湯を経て、来満山中を越え三戸に達する街道である。
14:25
一里塚の地点からストーンサークルへ向かう道。
案内看板の一番下に「黒又山(クロマンタ)」の文字が見える。
黒又山(クロマンタ)は、稜線がピラミッドのように、きれいな四角錐になっている三角形の山。頂上には神社がたち、その真下には巨大な岩があり、また頂上のすぐ下のところには空洞があることが確認されている。黒又山がピラミッドではないかと言われる所以・・・気になるが、先を急ぐ。
14:27
右側の山が黒又山(クロマンタ)。
黒又山が、ピラミッドのように墓として作られたかどうかは判明されていないが、信仰の対象として古代から崇められていたことは確かのよう。近くにはストーンサークルもあり、太陽にまつわる祭祀遺跡のひとつではないかと考えられる。
14:31
特別史跡大湯環状列石ストーンサークル)』。
野中堂・万座環状列石を中心とする、約4000年前(縄文時代後期)に作られた大規模な遺跡。
2つの環状列石は、たくさんの組石遺構が二重の環状に並べられたもので、列石の中心からみて北西の位置に「日時計状組石」が作られている。
万座環状列石の規模は径48メートル,野中堂環状列石の径は42メートル。
リンク 大湯ストーンサークル館

14:35
この遺跡は、平成10年から環境整備事業が行われ、広く一般に公開できる文化財としての整備が行われている。現在は、万座遺跡の 西側及び北側の広範囲な地域が区分けされ順番に発掘調査されており、今後順次進められ野中堂遺跡の東側も調査され、将来は、遺跡全体が公園になるそうである。
14:37
大湯環状列石を後に、川を渡る。
秋田県内最北部に位置するこの周辺では、秋田県南部では既に終了した「稲刈り」をまだ終えていない田んぼが多く、北国であることを意識せざるを得ない。
14:46
毛馬内は、鹿角市十和田湖への入口にあたる場所にあり、江戸期は南部藩に属していた。北上すれば、弘前津軽にも近い秋田県の北東端に位置する。
写真は毛馬内の本町通りにあった古くからの商店。オモテには「豊口甚平本店」と書かれていた。
14:46
月山神社。社伝によれば、大同二年に坂上田村麻呂の東征の時奥羽に七所の月山神社を勧請した中の一社といわれる。毛馬内道(鹿角)惣鎮守として、崇敬されてきた。南部藩主の崇敬も篤く、十三石の社領を安堵され、しばしば種々の寄進も受けていた。 江戸時代、三度も火災により焼失したが、そのたびに篤い庶民の信仰に支えられ、見事に再建されている。鹿角市文化財に指定されている「小倉百人一首」の献額を始め数々の絵馬の奉納者名からも、広く篤く信仰されてきたことが知られる。
15:36
毛馬内は、江戸期初頭に藩主南部氏直々により今の地に新しい館(柏崎館)を中心として小さいながら町割りが計画的に整備された城下町で、現在までその名残りを留めている。まちにはその後、南部藩の家老桜庭氏が1657(明暦3)年に入ってきた。
写真は毛馬内の代表的な「こもせ(こみせ)」、田口麹店。
15:38
毛馬内といえば何といっても「盆踊り」だろう。
「毛馬内の盆踊」は、情緒豊かで優雅な盆踊りとして、国の重要無形民俗文化財に指定されている。8月21日から23日まで、町内路上に篝火を焚き、その周りに細長い輪となり、踊りが行われる。
15:42
『こもせ(こみせ)』とは、住宅や店舗の軒の外側に、冬の吹雪や夏の日照りから歩行者を守りながら買物もできるよう、藩政時代に考案された、いわば木造のアーケード。
青森県黒石市のそれが、全国的に有名。
15:41
塩を商う店の前にも「こもせ」があった。
江戸時代、西国(瀬戸内海)で造られた塩は塩廻船で全国の湊へ運ばれた。
湊から内陸へのは牛や馬の背に乗せて歩荷(ぼっか)が決まったルートを運んでいた。これが『塩の道』である。
花輪へ運ぶ塩の道は、鯵ケ沢町→弘前→碇ケ関→坂梨峠→濁川→毛馬内→花輪と続いていた。
15:44
本町通りにて。
そこだけ時代が取り残されたかのような風景。
・・・手前の化粧品看板がジャマ。
15:46
毛馬内から小坂を目指していく途中、ふっと見かけた日本家屋。立派な赤松があり、反対側には池があった。武家屋敷の1つだろうか。
15:47
小坂鉄道の「小坂駅」へ。
小坂鉄道は、秋田県大館市から、同県の小坂(こさか)町までを結ぶ、延長22,5Kmの鉄道。
小坂鉱山で産出される鉱石(銅、鉛など)の輸送は全てトラックに移行されているが、現在では製錬の際に回収される濃硫酸の輸送が続けられています。濃硫酸輸送はトラックでは安全性に問題があるため、その100%が鉄道によって輸送されている。
旅客輸送は平成6年に、赤字部門の解消などの理由で廃止されたが、当時はキハ2100形のワンマン運転により、1日7往復が設定されていた。
15:50
「こもせ」ではないが、雪国で列車を待つ乗客のために造られた、大きな軒が印象的だ。
16:16
明治の芝居小屋「康楽館」まで戻ってきました。
康楽館は、明治43年(1910年)、古くから栄えていた小坂鉱山の厚生施設として誕生しました。
内部は、花道・仮花道・回り舞台・スッポン・道板で仕切った桟敷など 江戸時代の芝居小屋の形式をよく伝えている和洋折衷の貴重な建物です。
自転車をクルマに積んで、途中、大館市内の温泉へ入ってから家路につきました。
走行距離 77.74km
走行時間 4時間 58分 56秒
平均速度 15.5km/h
最高速度 62.4km/h