あきたポタリング日記

ポタリングとは、気の向くままに自転車で散歩をすること。 四季の美しい風景の中を のんびり走るのが好きです。 自転車に乗れないときは、不定期更新日記になります。

秋田市縦断ポタ 7/30 前篇

竿燈まつりの準備に勤しむ町内を巡っているうちに、天気もいいし、気分もイイので、 その足でちょっと遠出をしてみようと思いたち、港町を目指すことにした。 15:20 秋田市保戸野「勝平神社」地図はこちら 大同二年(807)坂上田村麻呂が勝平山に勧請し、古くは鰐田の浦神と称された。康平年間に源頼義の下向に際し再興され、八橋箱岡に鎮座した。明治十九年(1886)大火に遭い、現在地にあった秋葉神社と合祀・遷座され、勝平神社と改めた。
16時から夏越大祓が行われたらしいが知るよしもなく・・・小祢宜さ~ん ==== 15:29 「菅原神社」。慶安年間(1648~1652)に現在の潟上市天王北野にあったといわれる天神を八橋箱岡へ移し、箱岡天満宮と称した。その後に日吉八幡神社南隣へ移したが、延享三年(1746)に五代藩主の命により現在地へ遷座、菅原神社と改称した。
15:32 「菅原神社」は明治四年に焼失したため、廃寺となった寿量院(日吉八幡神社の南側に隣接し徳川家を祀っていた)の御霊屋を移築、同6年に再建して現在に至っている。なるほど、そう言われると寺院の霊屋という雰囲気がある。
15:39 蜆塚と鶏卵塔。寺内の人々は物忌が厳しく、卵を飲食しない風習が近年まで続いた。鶏卵塔は、この禁忌を犯した謝罪と鶏卵の供養を目的として、弘化三年(1846)に建立された。蜆塚は、雄物川の蜆貝を商う講中の人々が、蜆採り作業の安全と蜆の供養のため建てたものであろうと思われる。
15:47 古四王神社。祭神は、蝦夷平定以来の北門の鎮護神・大毘古命と建国創業の神・武甕槌命の二柱。天平5年(733)、高清水の丘に出羽柵(秋田城)が移された頃、国家守護の四天王寺が創建され、城中の古四王神と混交し、仏法守護の四天王を祀る神宮寺へと性格を変えたと伝承される。
15:57 秋田城跡東門。奈良・平安期における東北日本海側の政治・軍事の中枢。760年ころから秋田城と呼ばれ出羽国府がおかれた。天長の大地震や元慶の乱(878)で壊滅的打撃を受けながら、先住民である蝦夷などの懐柔や支配地拡大の役割を担った。
16:02 秋田城政庁跡。秋田城の中心的施設で、政治を司り国内外の使節を迎える儀式なども行われた。昭和14年に約90haに及ぶ広大な土地が国史跡に指定されて以来、発掘調査を重ね、現在も秋田市教育委員会が継続調査している。
16:08 秋田県護国神社。明治2年、秋田藩主佐竹義堯が戊辰戦争に殉じた官軍戦没者425柱を祀ったのが起源。同26年に焼失するが、同32年千秋公園に再建され、秋田招魂社と称した。昭和14年秋田県護国神社に改称し、翌年、旧秋田城址である現在地に遷座した。
第2部に続きますicon16