あきたポタリング日記

ポタリングとは、気の向くままに自転車で散歩をすること。 四季の美しい風景の中を のんびり走るのが好きです。 自転車に乗れないときは、不定期更新日記になります。

久保田城跡ポタ 7/9

中土橋通りにある「久保田城跡」の碑2006/07/09(SUN)
BROMPTONが納車されて一週間、ようやく夏らしい日差しの週末にめぐり合うことが出来た。秋田県立野球場「こまちスタジアム」でヤクルトvs阪神のデーゲームが行われていた同じ頃、ランドナーテイストの装備に身を包んだBROMPTONで、秋田市内中心部にある久保田城跡へと出掛けた。 久保田城は、現在の秋田市千秋公園周辺にあった秋田二十万石久保田藩主佐竹氏の居城。矢留城、葛根城とも呼ばれる。形式は平山城である。久保田城は天守を持たず、かわりに櫓を設置した。石垣もなく、これには土塁を当てている。
==== 表門14:14 表門 表門は久保田城本丸の正門で、一の門とも呼ばれていた。本丸の玄関口として警備上からも重要な地点とされており、左手には門の警備と管理をする「御番頭局」、門の下手には侵入者を警備する「御物頭御番所」を置いて厳重な守りを固めていた。この門は、絵図などの文献資料や発掘調査の成果をもとに再建したもので、構造は木造二階建て瓦葺き櫓門であり、佐竹20万石の正門に相応しい壮大なものとなっている

御物頭御番所14:15 御物頭御番所 御物頭は藩の行政機構の中では番方に属す役職であり、配下の足軽を指揮して二の門の開閉及び城下一帯の警備を担当した。御番所の南側14畳の部屋に物頭が詰めて登城者を監視した。北側には7畳半の休息所や台所。便所があり、中二階には8畳の部屋が配置されている。建築年代は18世紀後半と推定される。城内では旧位置のまま今日まで残っている唯一の建造物。

ランドナーなBROMPTON14:16
表門をバックにBROMPTON。 皮サドルに帆布のサドルバックが気に入っている。 英国生まれのBROMPTONは、日本の風景にも溶け込んでいる。

御隅櫓14:38 御隅櫓 もと城内に八ヶ所あった櫓の一つで、本丸の北西隅の一番高い台地に位置しており、物見や武器の貯蔵庫などに使われたもの。当時の二階造りを基本とし、その上に市街地が一望できる展望室を加えて4層として平成元年に復元された。

弥高神社14:44 彌高神社 明治14年、秋田市八橋の日吉八幡神社境内に平田神社を創建し、平田篤胤大人命を祀ったのが始まり。その後、秋田県教育会が崇敬母体となり、同42年に秋田市中通4丁目にあった旧県社八幡神社を購入修理し奉遷、同時に佐藤信淵大人命を合祀し、社名を彌高神社と改称。大正5年に現在地に遷座、同8年には県社に列格された。

千秋公園14:47 千秋公園 明治23年、久保田城跡を秋田市が佐竹家から借り受け、公園として整備されたもの。明治29年には県の管理となり、公園としてさらなる洗練性が加えられた。昭和28年に再び秋田市に管理が委譲された後、昭和59年に十五代佐竹義榮氏が秋田市に公園を寄贈、名実共に市民の公園となった。

佐竹史料館 14:49 佐竹史料館 居城であった千秋公園二の丸の旧秋田市美術館を改修して開館。三代藩主義処公の具足、蒔絵書院棚、御常器、唐草蒔絵木銚子など、ゆかりの品々を展示。企画展『秋田藩主と家臣たち 10代藩主義厚から12代藩主義堯まで』開催中。

帰り道、秋田市通町の自転車店「サイクルショップタカハシ」へ立ち寄り、ブレーキケーブルのインナー&アウターを購入。 上がシマノ製、下がBRO純正

BROMPTON純正のブレーキですが、買ったときから非常にブレーキの引きが重いのです。さっそくバラしてみたところ、インナーワイヤーは目の粗い鉄製っぽい感じ(天下のシマノ製は滑らかな表面のステンレス製)、アウターチューブもシマノ製のようなケーシング内側の皮膜が全くありません。これではスムーズなブレーキングが出来るハズがありませんね。 ケーブルを組み付ける時には、アウターホース内にラスペネなどの潤滑油を注油し、インナーワイヤーには軽くグリスを塗ります。これでブレーキの引きが全然違うはずです。