あきたポタリング日記

ポタリングとは、気の向くままに自転車で散歩をすること。 四季の美しい風景の中を のんびり走るのが好きです。 自転車に乗れないときは、不定期更新日記になります。

奥の細道 猿羽根峠・山刀伐峠【後編】(山形県)

奥の細道 猿羽根峠・山刀伐峠【後編】(山形県

2005年9月24日、俳聖・松尾芭蕉「おくのほそ道」の足跡を訪ねて、 ランドナーを旅の伴に、秋の山形県を走りました。写真が多いので、前編と後編に分けてお伝えします。

コース
舟形 若あゆ温泉>>>羽州街道 猿羽根峠>>>尾花沢市 芦沢>>>尾花沢市街(警察署)>>>尾花沢市 正厳集落>>>山刀伐峠 旧県道>>>やまがた赤倉温泉>>>最上町内 万騎の原>>>赤倉温泉駅入口>>>堺田集落 封人の家>>>JR赤倉温泉駅>>>JR最上駅>>>瀬見温泉>>>長沢>>>舟形 若あゆ温泉
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前編から続きます

akipota.hateblo.jp

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10:45 赤井川を渡り、市野々集落のゴミステーションに、山刀伐峠の名を発見。峠の入口まで、もう間もなく。

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11:03 県道(赤倉街道)の新道と旧道が分かれる地点に駐車場があり、山刀伐峠入口の標柱があった。 いよいよ山刀伐峠の登りにさしかかる。

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11:05 ここから山刀伐峠のピークを経て、峠の反対側(最上町)へ至るまで、旧街道を利用した遊歩道が整備されている。 現在は、道が整備され登りやすくなっているので、「おくのほそ道」に描かれている登坂の場面が誇張されたものと思われがちだが、峠越えの道が改修され一般道として利用されはじめたのは嘉永4年(1851年)以降のことであり、それまでは、土地の人が山稼ぎに利用する程度で、獣道に近いものだった。従って、急勾配の山腹を笹や雑木に捕まりながら行われた峠越えは難儀を極むものだったろうと思われる。

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11:09 峠へ向かう旧道はクルマがやっと擦れ違える幅しかないが、両側に林が広がり雰囲気も良く、自転車にとっては、この上なく走りやすい。 山刀伐峠の名称は、尾花沢側がなだらかで、最上町側が切り立っている山容が、山稼ぎで使用した「山刀伐」という被り物に似ていることに由来するといわれる。

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11:12 記念撮影におあつらえ向きの標柱があったが、峠の頂上はさらに先なのである。黙々と登っていく。

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11:45 旧道の山刀伐峠に到着。峠の上には駐車場とトイレがあるが、木々が生い茂り眺望はきかない。 古えの峠は遊歩道を歩いてしばらく登ったところ、東屋と記念碑があるという。ちょうど雨上がりで道がぬかるんでおり、SPDシューズを履いていたので遠慮しておいた。ちょうど12時になったので、コンロで湯を沸かして昼食にする。 峠で作るカップ麺、峠で飲む1杯のコーヒーのために、わざわざコンロを持参するσ(^^ )って・・・??

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11:46 歴史の道 山刀伐峠を紹介する案内看板あり。この手の看板は全国どこでも見かけるが、大部分は文字が消えて見えなくなっており、残念なことこの上ない。

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12:49 ゆうに一時間を超える大休止を終えて峠を下る。緩やかだった尾花沢市側に比べて、赤倉温泉へ下る最上町側は勾配もあり、カーブもきつく、中型以上のバスは通行できないことになっている。峠を越えた最上町側は二十七曲りと称される狭く急なつづら折りだ。ブレーキを操りながら、慎重に下っていく。先ほどの登りでは、両側に林が広がっていたのに対し、今度は片側が完全に、切り立った崖のようになっている。急勾配をいかにして緩めるか、県道開削当時の労苦が偲ばれる。

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12:50 修学旅行で来たのだろう、浜松市立東部中学校の銘がある、遠くの町からここまでやってきた子供たちの足跡。平成の松尾芭蕉は、どんな大人になっているだろうか。

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12:57 山刀伐峠を最上町側まで降りてきたところに、東北森林管理局と最上町が建てた、立派な看板があった。だけど峠はここではなくて、坂道を上った山の上ですよ。

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12:59 最上町側の山刀伐トンネル前で赤倉街道と合流する。山刀伐峠まで1.8kmとあるが、下りであるだけに、もっと短く感じた。

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13:06 山形・赤倉温泉。 開湯貞観5年(863)と歴史は古く、馬が川湯で傷を治しているのを見た慈覚大師が、錫杖で掘ってみたところ、温泉が湧きだしたと伝えられています。

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13:12 万騎の原古戦場址。小国領主細川氏最上義光の大軍を迎えうった古戦場。天正8年(1580)に山形最上家が山刀伐峠を越えて、小国細川家を攻めたとき、細川家と土地の青年達が一丸となって明神原に出迎えて戦い、その騎馬が万騎と数え切れないほど多く入り乱れた所といい伝えて、万騎の原と呼びかえたとか。

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13:15 道は快調に赤倉温泉、万騎の原と進み、国道・JR線とぶつかるT字路まで降りてきた。せっかくなので右へ折れて、芭蕉が宿泊したという境田集落の封人の家を目指すことにする。

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13:19 ここから境田を過ぎて宮城県境まで、延々とゆるい登り坂が続く。おまけに霧雨も降ってきた。ゴーグルに水滴が貼り付いて前が見えない。スグ脇を轟音とともに大型トラックが走り抜けていく中を、何度も何度も立ち止まり、ゴーグルの水滴を拭った。 途中、新庄行きの陸羽東線下り列車と面会。

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13:46 境田、封人の家へ到着。 「封人の家」とは国境を守る役人の家のことで、仙台領と境を接する新庄領境田村の庄屋の家、つまりこの旧有路家住宅であったといわれている。 芭蕉はここで「蚤虱馬の尿する枕元」の句を詠んだ。

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14:05 封人の家からの戻りは、小国川の流れとともに下り基調で足取りも軽く、快適なサイクリングが楽しめた。JR赤倉温泉駅、

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14:47 ログハウス風の無人駅、JR大堀駅。

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14:47 国道沿いにあった、ログハウス風の無人駅、大堀駅。

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14:58 鵜杉~瀬見温泉の間、小国側が迫ってきたあたりに、何やら吊り橋の付いたアウトドア施設(キャンプ場?)があった。川の駅 『ヤナ茶屋もがみ』

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14:58 鵜杉~瀬見温泉の間、小国側が迫ってきたあたりに、何やら吊り橋の付いたアウトドア施設(キャンプ場?)があった。川の駅 『ヤナ茶屋もがみ』

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15:00 小国川に沿って走る道路は、落石防止のガードの下を潜る。

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15:02 明治の終わりにつくられた、瀬見発電所

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15:01 綺麗な滝・・・渓流釣りのメッカ、小国川。 奥羽山脈の山間をぬって、国道47号に寄り添うように流れるこの川には、水しぶきをあげて流れ落ちる滝があります。

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15:05 JR瀬見温泉駅を通過。 名のとおった温泉でも、駅前は寂しい。

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15:08 瀬見温泉の旅館街。 瀬見温泉には、義経・弁慶に関する伝説が数多く残っています。  室町時代に書かれたとされる、義経一代記「義経記」によると、兄源頼朝の追っ手を逃れ岩手県平泉に向かう途中、文治三年(一一八七)に、最上地域を通ったとされています。なかでも瀬見温泉周辺には、義経の子「亀若丸」の誕生に加護があったという子安観音や弁慶の笈掛け桜といった義経主従にまつわる数かずの伝説、旧跡が残されています。

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15:21 国道のバイパスと別れ、旧道を長沢方面へ走る。 ゴールはもうすぐ。

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15:40 広域農道を右に折れて、舟形若あゆ温泉の看板を目指します。

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15:44 川を渡る。せっかくの運動場も、過疎化であまり活用されていない。

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15:49 「直立する鮎」の像。スタート地点であり、ゴール地点の若あゆ温泉が見えてきた。いちにちじゅう走ってくれた相棒のランドナーをクルマに積んで、日帰り温泉で汗を流してから家路につくことにします。

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17:05 帰り道、前々から行きたかったJR新庄駅前「急行食堂」に立ち寄ることにした。 店内に掛かる暖簾 はまだ健在。  出前 急行  味 特急  値段 二等

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17:12 注文した「つばさ子ラーメン」。 ニラの卵とじがラーメンに載っている。
帰りも安全運転で。

全行程80キロ強のコースですが、猿羽根峠山刀伐峠ともに、近世の旧街道に寄らずに先へ進んでしまったことに後悔が残ります。 前夜に思いついて出かけた旅でしたが、次回からはもう少し『観光面』で、事前のリサーチをしようと思いました。