あきたポタリング日記

ポタリングとは、気の向くままに自転車で散歩をすること。 四季の美しい風景の中を のんびり走るのが好きです。 自転車に乗れないときは、不定期更新日記になります。

高砂堂の裏路地

7/23のポタ(7/28付エントリー「竿燈まつり 近づき」)で紹介した、創業明治27年の高砂堂。大正7年建築の登録有形文化財で、純和風の外観とアールデコ風の内装が特徴。  >>二〇世紀ひみつ基地 8月3日~6日に行われた、秋田竿燈まつりの人出は138万人と、去年よりも2万人増、ここ10年で最も多かったのです。「期間中、天気が良かったことが最大の要因」と秋田市商業観光課は話しています。土日と重なったことも幸いしましたが、まずは良かった。(^^) この「高砂堂」の裏手には、なかなか雰囲気の良い「路地裏の風情」が残っている。
==== 高砂堂は、平成7年(1995)年に通町の道路拡幅により、取り壊される予定だったのが、惜しむ声が市民から強まり、そのまま四メートルほど曳屋して保存されることになったという。 大正ロマンの香り漂う店舗もさることながら、こんな懐かしい「路地裏」の風情が残されたことは、店主および関係者のご苦労に、誠に頭が下がる思いがする。 このゴミ箱は、むかーし私の育った家(@東京都調布市)の近くにもあったような気がする。なんだかすごく懐かしい。
夕暮れ近づく頃の情景もイイが、ぽつんと明かりが灯っているところも、きっと絵になることだろうなぁ・・・
高砂堂の裏手、駐車場の隣にある不動産屋、「(有)東北不動産」とある。 不動産屋自体は珍しくも何ともないが、「元 杉乃湯」という表示が目を惹く。 それにしても、後方に聳えるマンション群は、何とも目障りで、せっかくの情景が台無しである。
かつては「杉乃湯」という銭湯があり、つい最近まで営業していたらしい。 入口があったと思しき扉には「男」「女」の表記が残り、その上には「杉乃湯」の行灯が今も往時のまま。 ここはかつて、明治時代に創業した「金谷旅館」という日本旅館があったという。 日本を愛した世界的建築家、ブルーノ・タウトも来日していたときに投宿しているという。  >>二〇世紀ひみつ基地
ブルーノ・タウト 表現主義の第2次世界大戦前のドイツを代表する世界的建築家。 1933年5月、ナチス政権に追われ日本インターナショナル建築会の招きに応じて来日し、1936年10月までの日本滞在中に、伊勢神宮桂離宮等の建築の美しさや我が国の伝統文化の素晴しさを数々の著作により世に伝え、大きな反響を呼んだ。