あきたポタリング日記

ポタリングとは、気の向くままに自転車で散歩をすること。 四季の美しい風景の中を のんびり走るのが好きです。 自転車に乗れないときは、不定期更新日記になります。

Ihatove/岩手ノ旅

盛岡の手打そば「ごん八」

いつもブログでお世話になっている盛岡きさらぎさんご推奨の店。 日曜日が定休日なのでナカナカ行かれずにいたのだが、休日出勤の 代休消化で休みがあったので、思いきって秋田から出掛けてみた。 (クルマに積んでいったんですよ…自走でなんか行けるもんで…

岩手銀行中の橋支店

今でも現役で使われています。

盛岡駅に到着

同じ新幹線に安倍総理大臣が乗車されていました。 盛岡駅前はご覧のとおり、まったく雪がありません。

盛岡八幡宮 例大祭

盛岡の秋祭りでもある八幡宮例大祭は、13日の前夜祭からはじまり、14日の神輿渡御、15日の例祭、16日の神事流鏑馬(やぶさめ)と4日3晩、盛岡の街全体が賑わいます。このほか、献茶祭、稚児社参など、さまざまな催しがあります。約10万人の参拝者が訪れます…

盛岡 桜山神社

桜山神社は、寛延2年(1749)八代藩主・南部利視が、初代藩主・信直の没後百五十年にあたることからその遺徳を偲び、城内の淡路丸に勧請したのがはじまりで、最初は淡路丸大明神と呼ばれていました。そして文化9年(1812)淡路丸に桜の木があったことにち…

盛岡 石割桜

盛岡地方裁判所の構内にある石割桜は、 盛岡のお国自慢をするとき、よく取り上げられる珍しい桜です。 巨大な花崗岩の岩の狭い割れ目に直径約1.35メートル、 樹齢が360年を越えるといわれるエドヒガンザクラが生育しているのです。 客観的なデータからいうと…

盛岡 菊の司酒造

菊の司酒造の創業は230年ほど前に伊勢松坂から陸中郡山(現在の紫波町)に移り住んだ伊勢屋六代目 平井六右ェ門が酒造りを始めたのが最初でした。昭和43年には菊の司酒造と社名も改まり、180年以上続いた「平六」の伝統は今も酒造りの精神に受け継がれていま…

盛岡 紺屋町番屋

昔ながらの望楼(ぼうろう)が目をひく番屋(ばんや)は、 明治24年盛岡消防よ組番屋として現在地に建てられた建物を、大正2年消防組第四部事務所として改築されたものが現在の建物といわれています。現在も盛岡消防団第五分団の番屋として使用されています…

盛岡 旧井弥商店

本町通から上の橋を渡ると、左側に豪壮な黒漆喰の土蔵造りの家があります。明治の盛岡大火後に建てられたもので、当初は呉服問屋でした。 (現在は自然食品店)腕の良い職人さんが手間暇かけて造った建物です。昭和45年9月火災にあい,屋根が落ちたため修復…

盛岡 上の橋・擬宝珠

上の橋は、慶長14年(1609)に第27代藩主南部利直(なんぶとしなお)が、 盛岡城築城時に中津川に架けました。擬宝珠(ぎぼうしゅ・ぎぼし)を取り付けたのは、 1336年(延元元年)後村上天皇より恩賞として京都鴨川橋の擬宝珠の使用が許された故事によると伝…

盛岡 ござ九

格子戸の低い軒が続く「ござ九」は、1816年(文化13年)創業の商家で、地元では「ござくさん」と呼ばれています。屋号のとおり現在も、ゴザと畳、わら工品や荒物を扱っています。現存する建物は江戸末期から明治まで増改築したものです。間口20間、総2階の木…

盛岡信用金庫本店

昭和2年「盛岡貯蓄銀行」の店舗として建てられたもので、昭和33年に盛岡信用金庫が譲り受け、本店として使われています。 旧盛岡銀行(岩手銀行中の橋支店)と同じく、東京駅の設計者である葛西萬司が設計しています。 1階から2階まで立ち上がる6本の太い…

旧第九十銀行(もりおか啄木・賢治青春館)

明治11年に士族の銀行としてスタートした第九十銀行が、明治43年に建てたもので、市内の銀行店舗としては最も歴史があり、ロマネスク風の趣をかもし出しています。 様式は簡略化され、内部は明治末期のデザイン潮流を偲ばせます。 しゃれたベージュ色のタイ…

岩手銀行中ノ橋支店

南部氏20万石の城下町・盛岡に秋を告げる秋まつり、盛岡八幡宮の例大祭を見に来ましたが、時間が空いたのでクルマに積んできた自転車で市内をポタリングしています。 旧盛岡銀行である岩手銀行中ノ橋支店は、市街地の中心部に位置し中津川・中の橋と一体と…